ボランティア・スピリッツ賞(アワード)

ジブラルタ生命・プルデンシャル生命・PGF生命ほか主催/文部科学省後援
PRUDENTIAL SPIRIT OF COMMUNITY(通称:SOC)
ボランティア・スピリット賞(アワード)

『津波模型』に想いを重ねて

機械科・津波模型班(岩手県立宮古工業高等学校)
第18回ボランティア・スピリット賞 SOC奨励賞受賞

津波模型による実演

「赤いラインは、東日本大震災の時に津波が到達したことを示しています。線を境に海側の区域は浸水しました」。説明を担当した芳賀くんが、『津波模型』を指さした。
モーターが作りだす疑似津波(着色水)が大きく波打ち、漁港や住宅を呑み込んでゆく様が再現される。実演では、まず小さな波を起こして防波堤の役割を説明する。そのあと防波堤でも防ぎきれない津波を起こしてみせる。
赤いラインは、震災後に引かれたものだ。防波堤を越えて市街地を取りまくラインが自然の脅威を物語る。

機械科・津波模型班のみなさん
模型を使って津波の様子を説明する

『津波模型』には、宮古市周辺地区の地形(山なみや市街地、海底の深さなど)が、1/2,500のスケールで再現されている。実演で波の高さや影響力を正確に再現するには、精巧なつくりを要求される。地図から標高や海の深さを写し、べニヤ板を重ね合わせて地形を作り上げていく。放課後、毎日作業をしても完成までに1年を費やす。
宮古一帯を囲むリアス式海岸は、湾の幅が陸地に近づくにつれて狭くなり、波が集中して押し寄せるため大きな津波が起こる。そのため幾度かの津波被害を受けてきた。
津波模型班は、津波災害の教訓を受け継ぎ、『津波防災』の啓発を目的として2005年に設立された。2015年3月までの10年間で、宮古市周辺区域の『津波模型』11基を制作し、地元の小・中学校を中心に行った実演は115回を数える。受講者の居住地区が再現された『津波模型』による実演は、イメージしやすくてわかりやすいと好評だ。

震災の経験を胸に

2011年3月11日。当時、中学1年生だった津波模型班のメンバーらも東日本大震災に遭遇する。
「揺れの直後、たいしたことはないと思って遊びに出かけたら足元に水が流れてきて、『津波・・・』と、あわてて近所の友達の家に逃げ込みました。2階に避難したんですけど、みるみるうちに街中に水があふれて、何もかもが流されて・・・」。流される人をありったけのタオルをかき集めて結んだロープを投げ入れて救出する。ただただ震えている女性を前に怖さがこみあげてきた。
「地震から二日間は、校舎で過ごしました。近所の人も避難してきて、備蓄してあった少しの食料を家庭科室で調理して分け合って食べました。みんな、がっくりと肩を落として途方にくれていました」と、当時を振り返る。
宮古工業高校の校舎も津波による浸水の被害を受けた。しかし、震災の体験者である彼らも、時が経ち復旧が進むにつれて防災に対する意識が徐々に薄れていったという。

津波の脅威を語る赤いライン
*赤い線を境に海寄りの区域が浸水した

教訓と向き合う

「津波模型班にいるからこそ、できることがあるんじゃないかって考えるようになりました」。
津波模型班の一員として活動するようになった彼らは、改めて震災と向き合い『津波防災』の重要性を意識するようになる。津波のメカニズム等をいちから学び、防災に必要な知識を身につける。
「津波は遠くに逃げても迫ってくる可能性があります。とにかく高いところに逃げろと訴えたいです。実演では、その地区にある高い山や高くて頑丈な建物を案内しています。自分たちの住んでいる場所の地形を理解して、家族で避難場所や避難道を話し合って万が一の時に備えてほしいです」。実演に自らの教訓を交える。

  • ベニヤ板で精巧に再現された地形

『津波防災』の輪を全国へ

四方を海に囲まれている日本。活動は宮古市周辺だけでなく全国から注目されている。昨年は大阪・神戸や徳島で実演を披露した。会場近隣の学校から多くの児童・生徒が訪れ、実演に見入った。
「津波のことがよくわかる」「多くの地域で実演してほしい」といった感想が多く聞かれた反面、避難の準備をしている人が少ないといった課題も浮き彫りになる。
「実演が『津波防災』を考えてもらうきっかけになると実感しました。意見を反映して、さらに役立つ実演となるよう心がけたいです」。要望を受けて、4月からは、四国の『津波模型』作りに取りかかる。
「津波模型班の伝統を継承し、僕ら自身の体験と教訓を多くの人たちに伝える責任があります」。
受け継いだ『津波模型』に想いを重ね津波模型班は、更なる一歩を踏み出す。

津波が及ぼす影響を様々な角度で検証する
*水を着色することで、海水の動きがわかりやすくなる