ボランティア・スピリッツ賞(アワード)

ジブラルタ生命・プルデンシャル生命・PGF生命ほか主催/文部科学省後援
PRUDENTIAL SPIRIT OF COMMUNITY(通称:SOC)
ボランティア・スピリット賞(アワード)

打ちたての蕎麦、ふるまいます

金山澤 杏朱(かなやまざわ あんじゅ)さん
(受賞時:宮城県農業高等学校 2年生)
第20回ボランティア・スピリット賞 文部科学大臣賞受賞

次は、「まずい」と言わせない!

蕎麦打ち初段の腕前を持つ金山澤 杏朱さん

金山澤さんは、一般社団法人 全麺協認定『素人そば打ち段位認定制度 初段』の腕前を持つ蕎麦打ちガールだ。その技を活かし、東日本大震災の仮設住宅で住民に蕎麦をふるまう活動を行っている。

高校入学を機に「新しいことに挑戦したい!」と思っていた金山澤さんに転機をもたらしたのは、校内で呼びかけられた『蕎麦打ち体験』だった。初めての蕎麦打ちは金山澤さんにとってやりがいのあるものだった。この時、参加した生徒は4人。しばらくの間は一緒に練習をしていたが、他の生徒は、みな事情があって練習をやめてしまった。放課後、たったひとりで蕎麦打ちの練習をする日々が続く。ひとりぼっちで嫌になることはなかったのだろうか?

「何よりも蕎麦を打つことが楽しかったし、嫌なことであっても任されたこと、自分がやろうと思ったことは最後までやるっていうのがモットーなんです。ひとりで黙々と練習ができたからこそ上達も早かったんじゃないかと思います」と芯の強さをのぞかせる。

しかし週に1度の練習で簡単に美味しい蕎麦が打てるようになる訳ではない。試食した家族や同級生に「まずい」と言われることもしばしば。その度に、「美味しい」と言ってもらえる蕎麦を打てるようになってみせると奮起した。手ごたえを感じられるようになるまでには、3,4カ月かかったという。

「顧問の山根先生から手順や打ち方について教わりましたが、自分の手で覚えることが上達への近道。練習するしかないんです。先生が打っているのを真似て、『ここを改善してみよう』と、実際に打ってみる。その繰り返しでした」

<金山澤さんによる蕎麦打ちの実演(所要時間は約40分)>

  • 1.蕎麦粉に水を加える。
    水加減ひとつで蕎麦の仕上がりが変わる。
  • 2.こねる。
    手のひら全体を使ってむらなく丁寧にこねていく。
  • 3.まとめる。
    蕎麦をきれいな円型に丸める。
  • 4.のばす。
    麺棒で2mm程度の厚みにのばしていく。
  • 5.切る。
    細く均一な太さで切る。
    上手く打てていないとボロボロになる。
  • 6.完成。
    この日の蕎麦は十割蕎麦。
私の息子ね、死んじゃった・・・

2016年3月、仮設住宅を訪問し豚汁や餅をふるまう学校行事で金山澤さんはひとりで100食の蕎麦を打ち、ふるまう機会を得る。

「9時から昼過ぎまでずっと打っていました。屋外の作業で手は冷たいし、足腰が冷え切りました。それに蕎麦打ちの姿勢って腰にくるんですよ(笑)。時間も迫ってくるし・・・山根先生に助けてもらいながら何とかやりきりました」。今だから笑って話せますと金山澤さんは振り返る。

この時、金山澤さんは別のプレッシャーとも戦っていた。「人と交流したくない。相手の心に踏み込むのが怖い」という思いが強く、話しかけられる度にドギマギしていたというのだ。

「自分から話しかけた方がいいって頭では分かっているんですけどできなくて、ものすごく嫌でした。でも、みなさんが明るく気さくに話しかけてくれて話を聞いているうちに人と接するのも悪くないかもしれないって・・・本当に周りの人に助けてもらいました。人と関わっていかなければ、心が通じ合うこともないんだと思えるようになりました」
周囲の励ましもあり仮設住宅では、「美味しいね」と言ってもらえる蕎麦をふるまうことができた。蕎麦をすする人たちの笑顔が疲れを吹き飛ばしてくれた。またこの日は、金山澤さんにとって忘れられない出会いがあった。蕎麦を打つ金山澤さんの背後で、「私の息子ね、死んじゃったの」と、ある女性がつぶやいた。

「突然のことで驚いてしまって、その場を取り繕うことしかできなかったのですが、その方は、『前を向いて生きていかなきゃね。私も蕎麦打ちをしてみたいな』と続けてくれました」

金山澤さんも小学生の時に宮城県内で東日本大震災に遭遇している。上着も着ずに避難した校庭、上靴にしみこんでいく雪の冷たさ。家族全員の無事を確認できた時は、安堵と嬉しさで涙が止まらなかったという。その彼女でさえも歳月を経ると記憶が薄らぎ、震災の話題に触れても何も感じることがなくなっていた。

「私は今まで何を見て過ごしてきたんだろって恥ずかしく思いました。その方と出会って、自分がやるべきことや何ができるだろうかと真剣に考えるようになりました」

2017年3月には、名取市役所が主催する震災復興イベントで400食の蕎麦をふるまった。

「3月11日と18日に被災者の方に蕎麦を400食振る舞いました。昨年まではひとりで蕎麦を打っていましたが、今年は同級生や後輩に蕎麦打ちを教えて4名で取り組むことができました。『美味しい』と笑顔になってくれるのがとてもうれしいです。ボランティアを通じて自分でも少しは人の役に立てるのかなと思えるようになりました。今はもっと美味しい蕎麦が打てるように練習をしています」

自分に自信が持てるようになったと瞳を輝かせる金山澤さんからは、人見知りの影はみじんも感じられない。

仲間が増えた。挑戦したいことも増えた

孤軍奮闘してきた金山澤さんだが、活躍ぶりが徐々に校内で話題となり蕎麦打ち仲間も増えた。同席してくれた同級生の佐藤 亜記さんもそのひとりだ。

「杏朱ちゃんがひとりで頑張っていたのを知っていたのでお手伝いしたいなと思って参加しました。本当にいつも蕎麦のコトを楽しそうに話してくれるんです」と佐藤さんが笑う。

仲間がいるからこそ挑戦できることも増えた。金山澤さんは、先輩らが立ち上げた被災地の圃場(畑)に蕎麦の種を植えるプロジェクトに参加し、星型(復興への希望)とハート型(地域への愛)ふたつの想いを込めた蕎麦アート作りに取り組む。被災地のために何かしたい。その想いがカタチとなって実を結びつつある。

「蕎麦の花言葉は『あなたを救う』。蕎麦には花が咲き実った後でも空に向かって伸び続ける無限伸長性という特性があり、その姿は復興し続けるという想いに重なると考えました。蕎麦アートは仙台空港に発着する飛行機の窓からも見えて花が咲く秋はとてもきれいです」

活動を開始した当初は、地域の住民から「何でこんなことをするのか。そっとしておいて欲しい」と、批判を受けることもあった。しかし金山澤さんらは諦めることなく毎年、蕎麦の種を撒き続け復興への願い、地域振興にかける思いを訴えた。その甲斐あって次第に心を動かされる人が増え、今では、地域の方々が一緒に種を植えている。

「今、私はひとりではありません。蕎麦がたくさんの人に出会わせてくれ、仲間を作ってくれました。残念ながらハート型の蕎麦アートが一度も成功していないので『次こそ成功させたいね』と、みんなで頑張っています」

<蕎麦アートの取り組みここがすごい>
 ●Google マップで星型の圃場が見える 
 ●仙台空港発着の飛行機の機内でアナウンスされる 
 ●『高校倫理』の教科書(2016年版)に掲載された

希望、彼方へ

現在、金山澤さんらは蕎麦を核に、ふるさと納税の返礼品として「蕎麦打ち体験ツアー」を納税者に還元する企画を名取市へ提案している。

「体験ツアーでは、蕎麦アートの圃場で収穫した蕎麦を使って、私たちが蕎麦打ち講習を行う予定です。圃場の見学や震災の体験談を聞く時間なども設けたいと考えています。県外の方々と地元の方々との交流が生まれることで、笑顔も増えると思います。ぜひ名取市観光に来て欲しいです」。高校卒業までに実現化して後輩たちに引き継ぎたいと金山澤さんは語る。

「ボランティア・スピリット賞では、私以上に頑張っている仲間がたくさんいて、地域によって求められるボランティアが違うことを知りました。そして『人の為に』と始めたボランティアがいずれは『自分の成長』に繋がっていることを感じました。ボランティアを始める勇気よりも活動を継続する努力の方が何倍も重要だと思います。今、何かをしようと考えている人がいるならば、すぐにでも始めた方がいいと思います。それが自分を変えるキッカケになるのだから」

いつの間にか金山澤さんの周りには、たくさんのメンバーが集まっていた。金山澤さんに追いつき追い越すべく蕎麦打ちの手順を復習する生徒や、地元企業と連携して進めている商品企画のプレゼン資料やサンプル作りに励む生徒。この場所でたくさんのアイデアが生まれ、笑顔や活気を創出していくだろう。

秋になったら、ハート型(地域への愛)と星型(復興への希望)ふたつの蕎麦アートが青空に向かって花咲かせる圃場を訪れてみようか。想いを巡らせながら帰路についた。

※金山澤さんの通う宮城県農業高等学校も東日本大震災で被災し、生徒らは仮設校舎で高校生活を送っている。

  • ボランティア・スピリット賞  全国表彰式で活動についてプレゼンテ-ションを行う金山澤さん