ボランティア・スピリッツ賞(アワード)

ジブラルタ生命・プルデンシャル生命・PGF生命ほか主催/文部科学省後援
PRUDENTIAL SPIRIT OF COMMUNITY(通称:SOC)
ボランティア・スピリット賞(アワード)

みんなの笑顔が僕のシアワセ

大羽 健太郎(おおは けんたろう)くん
(受賞時:島根県 益田東高等学校2年)
第18回ボランティア・スピリット賞 文部科学大臣賞受賞
米国ボランティア親善大使

私のことを伝えてほしい

「僕の母は統合失調症を患っています。中学生の頃までは、僕自身、母の病気のことを理解できなくて母のことを隠したいと思っていました。けれど母は幾度となく、『私にしか伝えられない病気の苦しさや悩みがあるけれど、私は人前に立つ機会がない。健太郎が代わりに伝えてほしい』と、僕に言いました」
統合失調症は、感情が乏しくなり時に幻覚や幻聴に悩まされる病気。母に初めて会う人たちが、「あ、病気なんだ」と微妙に表情をくもらせるのが辛く、とにかく周囲の目を気にしてばかりいたと振り返る。しかし、母の強い想いが心を動かす。
「高校に入学する頃には、母の病状をだいぶ理解できるようになっていて、一歩踏み出さなくちゃダメだという気持ちになっていたので、校内弁論大会をきっかけに母の代弁者として弁論の原稿を書いてみようと決心しました。最初は、こんなことを書いたら母に失礼なんじゃないか?自分の気持をどこまで書いたらいいんだろう?って、苦しかったですね」
もがきながらも正直な想いを綴り、全校生徒の前で発表した弁論は、校内大会で最優秀賞に選出された。そこから県大会・全国大会への道が拓かれる。

みんなが笑顔でいてほしい。大羽 健太郎くん

信頼できる師そして仲間とともに

県大会に向けての準備を進める中で、大羽くんは登米 光枝(とよね みつえ)先生と出会う。
「登米先生とお話したことで、気持ちを全部さらけ出して整理することが出来ました。自分だけが大変だと思っていたけど、先生のご家族もご病気で似たような境遇でした。自分の気持ちを良く分かってくださったんです。自分なんてまだまだだって気づかされました」
取材日は、仲間と一緒に先生のお宅で合宿中だった。「合宿ではどんなことをするんですか?」と、指導にあたっている登米先生に尋ねると、
「合宿は、弁論の技術や表現、敬語の使い方などを学ぶ場ですが、それだけではありません。寝食を共にしながら、腹を割って語りあい、ありのままの自分をゆだねられるんだという信頼感を築く場でもあるんです。こういう場所があるから、生徒たちは未来に向かって夢や希望が持てるようになるんです」と、お話してくださった。
先生の言葉通り、生徒らは節度を保ちながらも、いい意味で力を抜いて合宿を楽しんでいた。
ありのままの自分を預けられる師、そして仲間がいることが、大羽くんの活動の大きな支えになっている。
小・中学校や福祉施設を訪問して、弁論を披露する『出張弁論』。大羽くんは、7分以内という短い時間で、母の壮絶な闘病生活や自身の葛藤を語り、病気や障がいの有無に関わらず、みんなが平等に生きられる社会にしたいと訴える。じっと耳を傾ける聴衆。弁論が終わり、ものまねが始まると一転、会場は笑いの渦に包まれる。のびやかな歌声がクライマックスを告げる頃には、観衆の瞳はみな壇上に釘づけになっている。
『出張弁論』は、全国大会に向けての度胸試しが始まりだったというが、回数を重ねていくうちに、「あの子は、いい弁論をするよ」との評判が広がり、今では月に2,3回も依頼が入るほどだ。
福祉施設に出かければ、弁論に涙して割れんばかりの拍手をおくってくださる方や車が見えなくなるまで手を振ってくださる方々がいる。小・中学校を訪問すれば、「差別はいけないことだと思った」「ものまね面白かったよ」と児童、生徒が感想を寄せてくれる。
「壇上に立たせていただく度に、あたたかい心をいただいているなって胸が熱くなります。とてもありがたいことです。子どもの頃から武田 鉄矢や井上 陽水のものまねをしたり、歌ったりして母が笑ってくれるのが嬉しかった。僕の活動が認められるということは、母が認められるということ。母の代弁者のつもりで始めた活動でしたが、今は、みんなが僕の話に耳を傾けてくれること、ものまねで笑顔になってくれることが、僕自身の幸せだと感じています。僕は、ものまねや歌で人を笑顔にすることができる。自分にしかできないボランティアっていうのがあるなら、これしかないと思っています。『出張弁論』という柱はぶれずに持っていたいです」

  • 登米先生と弁論の仲間と一緒に
  • 中学生に分かりやすい表現で語りかける大羽くん
  • 十八番、武田鉄矢のものまね

やるんだったら、全てに力を注ぎなさい

『出張弁論』だけでも多忙な日々を送っていると思うのだが、大羽くんは他にも生徒会長、野球部の副主将をこなしている。
「やるんだったら、全てに力を注ぎなさい。とにかく両立をしなさい。ひとつに集中するんじゃなくて全部できるようになってこそ一人前だと、登米先生や野球部の顧問から激励されたんです。僕が『出張弁論』をやるということは野球部の練習を抜けること。副主将がこんなに練習を抜けていいのかなって悩んだ時期もあったけど、自分でやろうって決めたことだから、全部やりました」
「根っからの負けず嫌い」と、大羽くんは笑う。何ごとにも手を抜かず貫き通す姿を見て、野球部の仲間たちが、「今日の出張弁論よかった?反応どうだった?」と応援してくれるようになったことで悩みも吹っ切れたという。
「僕は環境に恵まれている。そういう環境にいさせていただけたことに感謝したい。応援してくださっているみなさんとの縁を大切にすることが、自分の未来につながっていくと実感しました」

ボランティア・スピリット賞がもたらした新たな夢

米国ボランティア親善大使に任命され、2015年春ワシントンD.C.を訪問した大羽くん。その経験が、「高校卒業後は、益田市で消防士になって地域に恩返ししよう」と思っていた夢を一転させる。
「僕は、今まで母や登米先生がきっかけを与えてくれたおかげで、ここまでくることができました。全米表彰式で、世界各国で活躍する仲間の『行動力』を目の当たりにして、これからは、自分できっかけを掴みに行かなくちゃいけないと思うようになったんです。自分がやりたいと思ったことは全部挑戦してみようって、『行動力』が格段に違ってきました。それで、もっと勉強しようって、帰国後、急きょ大学を受験することにしたんです」
「自分が一番驚いている」と言う大羽くんだが、この挑戦にも全力で立ち向かって行くに違いない。
「母や僕の周りの人たちが、笑顔になってほしい。幸せになってほしい。そんな風に思っていました。けれど海外の文化に触れさせていただいた今、日本と海外両方の文化を活かして、島根県全体を笑顔にできるようになりたいと思っています」

大羽くんの『出張弁論』に出会ったら、あなたも足を止めて彼の言葉に耳を傾けてほしい。

米国ボランティア親善大使の受賞が転機に

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大羽くんの弁論原稿「私の今からのシアワセ」をぜひ、ご覧ください。
私の今からのシアワセ