ボランティア・スピリッツ賞(アワード)

ジブラルタ生命・プルデンシャル生命・PGF生命ほか主催/文部科学省後援
PRUDENTIAL SPIRIT OF COMMUNITY(通称:SOC)
ボランティア・スピリット賞(アワード)

自分にできることでBESTをつくす

多留  陽葉(たる あきは)くん
(受賞時:崇徳学園崇徳高等学校2年生)
第19回ボランティア・スピリット賞 文部科学大臣賞受賞

多くの支えがあったから

2014年に発生した広島土砂災害へのボランティアを全校生徒へ訴え、現地での災害復興支援作業のコーディネーターとして活躍した多留 陽葉(たる あきは)くん。
「今までたくさんのボランティアさんに支えられてきた分、これからは自分がボランティアを通じて多くの方々とつながりを持ちたい」
視覚に障がいのある多留くんは、幼い頃「遊びのボランティア」で関わってくださった方々や「拡大教科書(文字の大きさを読みやすいサイズに調整したもの)」を制作してくださった方々、不安を抱えて高校受験に臨んだ時、「安心して来てください」と、受け入れてくれた崇徳高等学校の先生方など多くの方々に自分が支えてもらったように、今度は自分がボランティアに積極的に関わっていきたいという。
高校入学を機に多留くんは、人と人とのつながりを軸に地域貢献活動と国際交流活動を目指すインターアクトクラブへ入部する。しかし入部当初のインターアクトクラブは部員が少なく十分な活動ができなかった。そこで同級生の田中 孝一くんとふたりで、部員獲得に向けて動き出す。
「週に1回、学校周辺を清掃することから始めました。最初は、『僕たちの部活ダサくないか?』って、田中くんとボヤいていました(笑)。それでも『掃除をしているのは、誰だ?』って、他の生徒の目にとまったことで、インターアクトクラブの存在をアピールするきっかけになったと思っています」

文部科学大臣賞を受賞した
多留 陽葉(たる あきは)くん

地元を襲った集中豪雨

さあ、これから本格的な活動を始めようとした矢先の2014年8月20日、豪雨が広島市を襲い土石流が街をのみ込んだ。災害発生の三日後、多留くんは、顧問の鴨谷(かもたに)先生やOBの方々と一緒に現地へ赴く。
「何か手伝いたい。そう思って現地へ出かけたのですが、僕は重いものを持つと網膜剥離(もうまくはくり)を起こていしまい失明する恐れがあったため、メインの作業であった土砂の掻き出しができなかったんです」
「僕の力で何かできることはないか」。多留くんは、鴨谷先生の助言を得て、校内のボランティアコーディネーターとして、広島土砂災害復興支援のボランティアに関わる決意を固める。
1,400人を超える全校生徒に、ボランティアの協力を呼びかけるのは、そう簡単なものではない。手作りのポスターの掲示やボランティアの概要を書いたプリントを配布して回り、自身が目の当たりにした被災地域の状況を交えたボランティア説明会を開催する。またクラブ活動単位での参加を促すために顧問の先生方にも個別に話を持ちかけた。
多くのボランティアを集めるべく奔走する多留くんの姿は、「地元のために何か協力したい」という想いを持ちながら、きっかけをつかめずにいた生徒らの心を動かし、昼休みに設置したボランティア受付窓口には参加希望者の長い列ができた。
「災害発生当時、インターアクトクラブでフル活動できる部員が僕と田中くんとふたりだけでしたので、現地での仕事の割り振りなどは、災害ボランティアを行うNPO団体のスタッフにお世話になりました。多い日には、1日100人近くの崇徳の生徒がボランティアに参加して土砂の掻き出しや瓦礫の撤去を行いました。積み上がっていく泥の袋の数は参加者が頑張った証。僕自身も可能な限り参加して、水分補給を促す声かけや体調管理のサポートなどをさせてもらいました」
2014年夏、多留くん率いるインターアクトクラブが主導して行ったボランティアは5回。「インターアクトクラブだろう。頑張れよ!」と、面識のない上級生からも激励されるようになる。
インターアクトクラブでは、現地での作業に加え生徒会と連携した「災害募金」の呼びかけや文化祭でお汁粉の販売を行い、その売上金を災害復興に携わるNPO団体へ寄付するなど被災地の復興支援に積極的に関わった。
しかし、ボランティアへの継続的な関わり方には課題が残ると多留くんはいう。
「災害から1年が経過すると活動も減り、僕らも復興イベントの手伝いに現地を訪ねるだけになっていました。まだ支援を必要とされている方がいるはずなのに僕らは支援が出来ていないんじゃないかと感じていました」
「継続したボランティア活動を考えているのなら、東日本大震災の被災地の様子も見ておいた方がいい」。お世話になったNPO団体のスタッフからのアドバイスを得て、多留くんは昨年12月に開催されたボランティア・スピリット賞全国表彰式の翌日、顧問の鴨谷先生、泊里(とまり)先生と共に東日本大震災の被災地、宮城へ向かう。
「宮城に行って、もう少し復興が進んでいると思っていたのでショックでした。東日本大震災の被災地は、被害の規模が大きかったので住民の方々のニーズを聞き取ることがとても大変だと聞いていましたが、自分の目で見て改めて復興に向けたボランティアの継続は、住民の方々が必要とされていることを知らなければ成し得ないと思いました。広島は被災区域が比較的狭かったので、これからきめ細やかに住民の方々のニーズを聞きとって必要とされている支援を提供できるように関わっていきたいです」

  • 瓦礫で埋まった地元の街
  • 校内ボランティアの受付
  • 積み上がった泥袋は地元のために頑張った証

交流があるからこそ見えてくるもの

インターアクトクラブの活動には、福祉施設や障がい者の方々が通所する作業所への訪問ボランティアがある。多留くんはこのボランティアを通じて一人ひとりが、やりがいを持って物事を達成することに障がいが「ある」「ない」は関係ないことや笑顔を共にできる喜びを教えてもらったという。
「作業所でペアを組ませていただいた方が、会話をしたり気持ちをコントロールすることが難しい方だったんです。どうしたらいいだろうと悩んだのですが、他の方がジャンケンでコミュニケーションを図っていたのを真似てやってみたんです。そしたらだんだんと心を開いてくださって楽しく作業ができるようになりました。翌年も訪問させていただいたんですけど、そのときは顔も覚えていてくださっていて嬉しかったですね」
こうした出会いがある一方で、障がいのある方やそのご家族が、「障がいのない人は、これから色々な可能性があるんだね。がんばってね」という言葉を口にする姿に接すると何とも言えない気分になるという。
「僕も周囲の目が気になることがあります。障害が『ある』とか『ない』で、夢や希望を諦めてしまうのは、とても残念なこと。誰もが当たり前に夢を抱いたり頑張ったりできる、障がいがあっても可能性にあふれているんだ、と思ってもらえるような活動に取り組んでいきたいです」

出会いから学ぶことがある

ボランティア・スピリット賞受賞を機に

今までは部員が少なかったこともあり自身のボランティアにかける想いや目標を口にする機会が少なかった多留くんだが、ボランティア・スピリット賞の表彰式で全国の仲間と交流したことにより、今後インターアクトクラブのリーダーとして何をしていくべきかが明確になった。
「僕は人と話すことがそんなに得意ではないんですけど、ボランティア活動している人たちとたくさん話すことができてとてもいい経験になりました。仲間と分かち合うって楽しいですね。後輩にも人と関わることで得られる喜びや楽しさを感じてほしいと思いました。受賞を機に地域の人たちからの期待も高まっていると感じています。僕がもっと積極的にコミュニケーションを図って後輩と地域をつなげるように働きかけていかなくてはいけないなと責任の重さを感じています」
現在、インターアクトクラブの部員は22人。この日、取材に同席してくれた後輩の植田 紳太郎(うえた しんたろう)くんにも話を聞いた。
「全校生徒を巻き込んでボランティアをやり抜いている多留くんのようになりたいなと思いました。今は多留くんの補佐をしていますが、これからは、僕も積極的に働きかけて部員みんなが楽しんでやれるような部活動を作っていきたいです」
後輩からの信頼も厚い多留くん。今後は、後輩らの意見も聞きながら特別支援学校と連携してボランティア活動を広げていきたいという。
「活動はひとりで出来るものではありません。崇徳学園の仲間たちやいつも激励してくださる安佐ロータリークラブの方々をはじめ、お世話になった方々の厚意に応えられる活動にしていきます」
控え目な語り口の中に熱い想いを秘めている多留くんの今後の挑戦がとても楽しみだ。

後輩の植田くんとともに