ボランティア・スピリッツ賞(アワード)

ジブラルタ生命・プルデンシャル生命・PGF生命ほか主催/文部科学省後援
PRUDENTIAL SPIRIT OF COMMUNITY(通称:SOC)
ボランティア・スピリット賞(アワード)

一生懸命がカッコイイ! 〜美濃加茂市への恩返しがボランティアの原点〜

ダルモ・マイケル (受賞時:岐阜県立加茂農林高等学校3年生)

第21回ボランティア・スピリット・アワード
文部科学大臣賞
米国ボランティア親善大使

美濃加茂市への恩返し

ダルモ・マイケルさんは美濃加茂市への恩返しを軸にボランティア活動を行っている。「どうしたらもっとよい活動にできるだろうか?」と、情熱を注ぎ込むマイケルさんの姿に私たちは惹きこまれる。マイケルさんの活動の原動力は一体なんだろう?

「7歳のときに生まれ故郷のフィリピンを離れて、美濃加茂市で暮らし始めました。慣れない環境の中で不安や戸惑いがあり、周囲に対して心を閉ざしがちでした」

やる気もない、表情もない『着せ替え人形』ような子どもだったと、マイケルさんは当時を振り返る。そんなマイケルさんの心の扉を開いてくれたのは、美濃加茂市に暮らす人々の優しさだった。人口の1割が外国人という同市は、土地に長く暮らす人々と外国からの移住者との交流が盛んに行われており、海外からの移住者に対する受け入れ体制が整っていた。マイケルさんも外国籍の児童を対象とした初期適応指導教室に通って、日本語や日本文化、マナーを教わりながら美濃加茂市の生活に馴染んでいった。

「僕が通っていた教室の先生方は、『マイケルには、日本を好きになって欲しいんだ』と、笑いや遊びを交えながらいろいろなことを教えてくれ、とても温かく僕を育ててくれました」

また、一歩教室の外に出れば、「マイケル、こんにちは!」と、近所の人たちが挨拶をしてくれたり、喫茶店のおばちゃんが「これ、植えてごらん」と、朝顔の種をくれたり、マイケルさんのことを気にかけて声をかけてくれる人たちがいた。

「ヒマさえあれば自転車で市内を回って、綺麗な場所を探したり図書館で美濃加茂市のことを調べたり、美濃加茂市全部が僕の遊び場でした」

声をかけられるたびに日本語が上手くなって、人に会うのが楽しくなる。次第にマイケルさんは、明るく前向きになり、大好きな人たちのために何かしたいという気持ちが芽生えていった。

「親に対しては素直になれなくても街の人には素直になれた。自分を見守って期待をかけてくれている人たちに恩返しをしたい。その気持ちが僕のボランティアの原点です」

中学生になる頃には、美濃加茂市内で行われるボランティアを見つけては参加を申し入れて、多くの活動に参加するようになった。

  • 観光イベントの参加者に向けて説明を行う

堂上蜂屋柿を全国へ発信

マイケルさんが高校の3年間で取り組んだ活動の一つに美濃加茂市の特産品である干し柿「堂上蜂屋柿(どうじょうはちやがき)」のPR活動がある。堂上蜂屋柿は、千年以上の歴史を持ち、食の文化遺産とも言われる特産品だが、近年では生産農家の高齢化や担い手不足が進み生産量が減少している。

「堂上蜂屋柿の生産量が増えない限り、商品をPRして需要が増えたとしても、供給に限界がやってきます。そこで作り手である農家さんにフォーカスする形で堂上蜂屋柿をPRできる方法を模索しました」

そこでマイケルさんは、一人で「堂上蜂屋柿Activation Pro」を立ち上げて、生産農家を取材したドキュメンタリー動画の制作や堂上蜂屋柿について考える「観光イベント」を企画。生産農家のリアルな現状を知らせるためのアクションを起こす。

「観光イベントは、県内外から20人程の人たちが参加してくれました。堂上蜂屋柿の説明や生産農家の訪問などを行ったのですが、参加者と交流した農家の方々がウキウキしているのを感じることができました。うれしかったです。僕の力だけでは、生産農家の衰退は止められません。だからこそ多くの人に知らせたい。農家のみなさんの想いを伝えることで新しい道が見えてくるんじゃないかと信じています」


これらの活動の様子をSNS(ツイッターやFacebook)で発信し、より多くの人たちへの伝播を試みる。

「SNSの投稿を見て共感してくれる人たちをつなげて、いかに行動を起こすかに注力しました」とマイケルさん。

こうした発信により、広島県の呉高等専門学校や大阪府の佐野高等学校など他府県の生徒と柿ピザの開発や特産品の相互連携などを行うことができたという。

  • 蜂屋柿の木の前で
  • 美濃加茂市の特産品「堂上蜂屋柿(干し柿)」

もっと何かできるハズだ

「堂上蜂屋柿」は高級特産品であるが故に、品質管理が厳しく廃棄になってしまうものが多い。そこでマイケルさんは、廃棄物の再利用や活用を考えるようになる。

堂上蜂屋柿の廃材や柿渋、美濃和紙、竹といった美濃加茂らしさにこだわった素材を組み合わせてアイデアを練る中で、マイケルさんは、生まれ故郷フィリピンの伝統的なクリスマス・イルミネーション「パロル(星型の飾り)」を思いつく。

「堂上蜂屋柿の柿渋で染めた和紙で作ったパロルを美濃加茂に飾ろう!構想はすぐにできたものの、お金も材料も加工する技術もない。そもそも僕以外は、パロルを見たこともなかったので、『そんなことは、できるわけがない』と、相談した先生や市役所の人たちから反対されました。それでも、僕は『NO』と言って可能性の芽が摘まれてしまうのが嫌で『YES』と言って、形にできる方法を考えたいと思いました。諦めたくなかったのです」

そこで大いに役立ったのが「堂上蜂屋柿」のPR活動で培ってきた人脈だった。「家族が勤める福祉施設で竹の工作やっているから協力してもらえます」「おばあちゃんが美濃和紙の手すき職人なので何かできることはないですか?」「竹は市役所で提供できそうだ」「資金は助成金を受けられるんじゃないか」と次々と協力者が現れた。

「とんとん拍子で物事が進んで、95個のパロルを作る材料を揃えることができました。パロル作りの最終工程である竹の骨組みに和紙を貼る作業は、地域のみんなでイベントを作り上げていきたいとの思いから、県内の3つの会場でワークショップを開催して地域の人たちに参加してもらいました」

2017年のクリスマス、95人の想いがこもったイルミネーションを前に「パロル、きれい~!!」と、たくさんの歓声が上がった。美濃加茂市への恩返しの灯りがまた一つともった瞬間だ。

  • パロル(星型の飾り)
  • パロルのイルミネーション

きみはすごいものを持っている

マイケルさんの活動は、指導にあたってくれた加茂農林高等学校の山田先生との二人三脚。なかなか活動を理解されず、同級生や親にさえも「そんなことに本気になっても意味がない」と否定的な言葉を投げかけられて悔しい思いもしてきた。

しかし、「私はマイケルを認めている。きみは本当にすごいものをもっている。きみと物事を成し遂げるためなら私はどんな力にでもなる。きみにはその価値がある」と、マイケルさんの活動を一番近くで見守り続けた山田先生の言葉が心を照らした。

「山田先生に認めてもらえたことがすごくうれしくて、山田先生が見てくれているから大丈夫。自分らしさをもっと発揮したい。自分を否定する人たちは分からないから否定するんだ。だったら、みんなが納得する形で見せればいいじゃないかと、奮起することができました」

「一生懸命がカッコイイ」辛い時、迷いそうになった時、この言葉を思い起こし自分らしく進めるように呼吸を整える。マイケルさんは、この春、高校を卒業したが、その志と「堂上蜂屋柿Activation Pro」の活動を引き継ぎたいという後輩も現れた。

「僕自身が迷いながら遠回りをしてきた分、誰かが迷わない手伝いがしたい。後輩たちも同じように迷っているのを感じるので、『自分の思うことを信じていいんだよ。つまずいた時は僕が助けるから』と、支えになれればいいと思っています」

  • SOCの表彰式では、高校の専攻である食品科の白衣を着てプレゼンに臨んだ

広がる世界、広がる活動

マイケルさんは、第21回ボランティア・スピリット・アワードで、他の受賞者からの推薦を受け、米国ボランティア親善大使としてワシントンD.C.で行われた全米表彰式に参加。

アメリカでも、マイケルさんの行動力が発揮される。英語がしゃべれないコンプレックスをバネに奮闘。寝る間も惜しんでプレゼンの練習をして発表会に臨み、誰よりも大きな声で各国の仲間に語りかけた。その情熱に仲間たちは圧倒され「すごいな!」と、マイケルさんを称えた。

また、全米表彰式でマイケルさんは、今後の活動の礎となる「笑顔」と出会う。

「なぜこんな笑顔ができるのだろう? 彼の澄んだ笑顔に見とれてしまいました。全米10人の特別賞に選ばれたブラウンさんは、銃で友達を殺されてしまったそうです。だからこそ銃のない社会を目指す活動をしていて、悲しさ、悔しさ、辛さを乗り越えて心の底から笑っていました。その活動の素晴らしさに心を打たれました。僕もブラウンさんのようになりたい。多くの日本の若者たちの笑顔を創造できるような活動をしたいと思いました」

大学生となったマイケルさんは、「若者の笑顔」を応援する場の創出に尽力している。マイケルさんの抜きん出た行動力と大きな笑顔に惹き込まれ、多くの仲間たちがその場所に集まって夢や希望を形にしていくことだろう。

  • 全米表彰式でブラウンさんと