天羽 祐輔(あもう ゆうすけ)
(受賞時:徳島市立高等学校2年生)
ボランティア・スピリット・アワード
第22回ブロック賞
第21回SOC奨励賞
天羽祐輔さんは、シリア難民への支援ボランティアや徳島を訪れる外国人への観光PR活動などを行っている。自宅で外国人のホームステイの受け入れを行っていたこともあって、幼稚園の頃から外国人と交流する機会が多く、外国文化に興味を持っていたという。
天羽さんは、中学生の時に、内戦の続くシリアを離れて広島県で家族と一緒に暮らすアブドゥーラ・バセム氏の新聞記事を読み、「教育を受けられない国に未来はない」という言葉に強い衝撃を受ける。
「自分たちが当たり前に受けている教育を受けられない子どもたちがいる。僕の普通は世界の普通ではないんだとショックを受け、物事の捉え方が一変しました」
居てもたってもいられなくなった天羽さんは、中学2年生の時、直接、広島に住むバセム氏を訪ねて、シリア難民が置かれている深刻な状況や戦争の恐ろしさなどを聞いた。
「新聞で読んだ以上に、バセムさん自身が語る言葉は重く感じられました。何かできることはないだろうかと真剣に考えるようになりました」
バセム氏の話で難民の間では、洋服をはじめ文具、カバンなどあらゆる物資が不足していることを知った天羽さんは、有志で結成したボランティアグループ『AQUA(アクア)』で、バセム氏が代表を務める団体(日本シリア連帯協会)のプロジェクトに協力する形で、ランドセルを集めてシリアの難民に届けるボランティアに取り組む。
メンバーで協力し合って、シリア難民の暮らしぶりや現地で必要とされている物資の寄付を訴えるチラシを作り、中学校や地域の方々に配布。物資調達の協力を呼びかけた。
結果、最初の年には48個のランドセルをはじめ、ワゴン車がいっぱいになるほどたくさんの文具や洋服を集めることができた。
「僕らが呼びかけたことで、たくさんの方々が協力してくれました。応えてくれる方々がいることがとても心強く思え、活動の励みとなりました」
天羽さんが見せてくれたシリアからのメールには、ランドセルや文具を持って笑う子どもたちの写真に「Thank you!」のメッセージが添えられている。
「最初にもらったこのメールが活動の原動力です。この写真を見返すたびに、遠い存在だった国がとても近くに感じられ、日本にいても、できることはまだまだある。誰かのために、自ら働きかけていこうという想いを強くします。広島県までの物資の輸送費やチラシの制作費をお小遣でまかなうのは大変なんですけど・・・」
笑いながら答える天羽さんの瞳には、遠い国の子どもたちへの優しさが溢れていた。
『AQUA』のメンバーたちが、ひと足先に高校を卒業し県外に進学、活動をひとりで引き継ぐことになった天羽さんは、新たな取り組みとして、英語版の『観光新聞』を発行し、札所や宿坊に設置することで外国人巡礼者をサポートする活動に踏み出す。
「自分が外国人巡礼者だったらどうだろう?日本文化や四国八十八カ所巡礼に憧れて徳島を訪れたとしても、情報が少なくて不便なことが多いのではないかと考えました」
このアイデアは、四国に古くから伝わる‘‘お接待‘‘をヒントに生まれた。‘‘お接待‘‘とは巡礼者に無償で茶菓や休憩場所などを提供し巡礼者を励まし、もてなす文化だ。天羽さんは家族や近所の方々が‘‘お接待‘‘をする姿を見て育ち、外国人巡礼者にこの温かく心のこもった‘‘お接待‘‘を体験して欲しいと思った。
‘‘お接待‘‘のひとつとして作成した英語版の『観光新聞』には、四国八十八カ所巡礼の解説のほか、阿波踊りや名物・特産品の情報など徳島の魅力を伝えるキーワードとイラストが並ぶ。作成する上での苦労を尋ねると、
「翻訳が一番大変でした。原稿を考え、翻訳ソフトを使って英語に変換したのですが、巡礼用語などが正確に翻訳されなくて、自分が通う英会話教室のネイティブの先生や高校の英語の先生に聞いては直しての繰り返しでようやく完成させました」と、話してくれた。
完成した英語版の『観光新聞』を、巡礼の地に設置することはもちろん、より多くの外国人に四国八十八カ所巡礼や‘‘お接待‘‘の魅力を伝えるべく、天羽さん自身が、羽田空港の国際ターミナルや留学生を受け入れている大学の国際寮に出かけて配布、PRに努めた。
「出身国によって反応が全く違ったことが新鮮でした。チラシをもらう習慣のない国の方もいて、すごく驚かれることもありましたが、必死に英語で説明して受け取ってもらえた時や、これから巡礼に出かけるという方に『助かるよ。ありがとう!』と喜んでもらえた時は、とても嬉しいです。僕自身も英語で表現することの面白さ、英会話の楽しさに目覚めることができました」
筑波大学の国際寮で行ったPRイベントでは、英語版の『観光新聞』や『八十八カ所巡礼解説DVD』を使った説明に加え、自身が巡礼の装束である白衣(びゃくえ)や菅傘(すげがさ)を身につけて見せ、茶菓をふるまい、日本の伝統的な遊びを体験してもらうことで、‘‘お接待‘‘を感じてもらった。
「みなさん、『親切な文化ですね』『夏休みに徳島に行ってみたいよ』と、好意的に受け取ってくれました。四国に長く滞在しない限り触れることのない文化にも関わらず、興味を持ってもらえたことが嬉しく、伝えることに意義があると感じることができました」
天羽さんは、ボランティア活動と両立して硬式野球部の活動にも力を入れている。ボランティア活動がグループから個人になった時に、それまで以上に時間のやりくりを意識するようになった。
「放課後や休日は野球に専念するため、少しでも空いた時間ができたら手を動かし、ボランティアの計画を進める工夫をしました。全部ひとりでしなければならない苦労はありますが、努力に比例して大きな反応が自分に返ってきます。達成感はグループでやっていた時以上のものを得ています」
高校生活最後の年となる今年は、ボランティアの軌跡や写真をまとめて徳島市内にある貸スペース等で写真展を開催したいと語る天羽さん。
さらに、公益財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団主催「日独スポーツ少年団同時交流」の二次試験にパスし、約3週間ドイツでホームステイする。
「ドイツでは、第一次世界大戦後、鳴門市坂東俘虜収容所(なるとしばんどうふりょしゅうようじょ)*の俘虜を徳島の人々がお接待したという歴史や当時の交流の様子を日本独自文化である紙芝居で伝えたいと考えています」と天羽さん。
「日ごろから『他の人たちに良い影響を与えるには、どうしたら良いのか』を念頭に置いて行動しています。写真展を開くことで、ボランティアに興味のある人や、ボランティアをやってみたいけれど方法がわからない人たちに一歩でも踏み出す勇気やきっかけを与えられたらいいなと思っています」
行動しない限り、その先に生まれる「何か」に出会うことはできない。どんなことでも前向きに捉え活動に取り組む姿勢をこれからも貫いていって欲しい。
*鳴門市坂東俘虜収容所:第一次世界大戦中に捕虜として日本に移送されたドイツ人が収容されていた施設