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安心のライフプラン・コンサルタント

~想いを託された私たちの責任~ 
入江いりえほづみ

九州営業本部
エグゼクティブ・ライフプラン・コンサルタント

多くのお客さまに、この仕事の意味を教えていただいた
お客さまがずっと安心し、希望を持って生きていけるよう、支え続けたい

保険の世界に入ったのは、子どものピアノの先生を通じてのご縁です。家も建てて、仕事を始めたいと思っていた時に、同じ先生にピアノを習っていたお子さんのお母さまから声をかけていただいたのです。
もともとは信用金庫職員で、その後は化粧品メーカーのオペレーター。生命保険にはご縁がありませんでしたし、自分が営業をするというイメージもありませんでした。しかも担当は自衛隊。初めて駐屯地に足を踏み入れた時には、見たことのない光景に緊張してほとんどお話もできなかったように思います。

自衛隊の方々に教えられた
2つの大切なことに後押しされた

自衛隊には数多くの保険会社が出入りしていました。他社の方も大勢いる中で、私のお話を聞いていただけることはありがたいことだと思っていましたが、ある自衛官の方に「入江さん、なんで毎日ここに来られるのかわかりますか? 前任の担当の方が、毎日みんなに気を配ってくださっていたため、隊員の評判がとてもいいからなんですよ」と言われたんです。その時に、私は会社の信頼を背負って仕事をしているのだ、と感じました。保険の内容ももちろん大切ですが、地道にお客さまと信頼関係を築いていくことの大切さに気づかせていただいたのです。
もうひとつ、駐屯地に通うことにも慣れてきた頃、別の自衛官の方に「僕たちはもしも万が一何かがあった時に国民のために迅速に動くのが当たり前で、そのために毎日、厳しい訓練を積み重ねています。入江さんは、私たちの保険を預かる人として、空気のような存在になってください。いても、いなくても邪魔にはならないけれど、いないと困る存在になってください。そして、何かがあった時にはいち早く対応してくれる人になってください」と言われました。この言葉で、自衛官の方々に私たちが助けていただくように、私たちはお客さまに寄り添い家族のように支えていかなければ、と強い想いを持つことができました。
こうした自衛官の方々の言葉に後押しされ、保険の仕事を続けていくことを決意したのです。

Aさんが残してくれたもの

仕事を続けているとうれしいことも悲しいこともありますが、私が初めて保険金をお支払いすることになった28歳という若さでお亡くなりになってしまったAさんのことは忘れられません。私が契約をお預かりさせていただいたお客さまではなかったのですが親しくお付き合いさせていただいており、全国への転勤がある中、ご病気やケガで入院された時も、保険の手続きを何度かさせていただいていました。そのAさんが熊本に戻って間もなく、亡くなってしまったのです。お通夜にも告別式にも参列しましたが、四十九日を過ぎたころに、保険金のお手続きに伺いました。
お話をする中で、「今年のバレンタインにAさんにチョコをお渡しした時の彼の笑顔を忘れることはできません」とお母さまにお話をすると、びっくりされた顔でお母さまが綺麗に包装された箱を取り出されたのです。「入江さんにお渡しするものだったのですね。これは、息子と最後にショッピングモールに行って買ったホワイトデーのお返しです。1つは彼女に、1つは私に。そしてもう1つは誰のかなぁとずっと気になっていたんです」と教えてくださいました。自宅に戻りその箱をあけてみるとその中には"入江さんいつもありがとうございます。まだまだ寒い日が続きますがこの入浴剤で日頃の疲れをとってください"とメッセージが入っていました。私は胸がはりさけそうでした。その日以来、私とお母さまとのお付き合いが始まりAさんとの思い出話をたくさん語り合うこともできる様になりました。

そうしたお付き合いが続く中で、お受け取りになった保険金のほとんどをお母さま名義の新たな保険として、お預かりすることとなりました。
悲しい出来事ではありましたが、こうして新たにお母さまとのご縁ができました。私は今でもAさんともっともっと語り合う時間や、何かしてあげられることがあったのでは、という後悔があります。そしていつも真剣にお客さまと向き合っていくことの大切さをAさんに教えられた様な気がします。いただいた入浴剤は、私が退職した時に使わせていただこうと思い、大切にとってあります。

災害も乗り越えて

長く自衛隊を担当する中でも忘れられないのは、熊本地震や豪雨水害などの災害です。隊員の方たちは自分たちも被災しているのにもかかわらず、災害派遣で奮闘されている姿を見て、私に何かできることはないか、と考え、地震の時には1週間毎日3升のお米を炊いて、おにぎりの差し入れをしました。

被災地で炊き出しをしていても、隊員さんの食事は缶詰の非常食ばかりと聞き、いてもたってもいられなくなったのです。温かいものを届けても、当直の隊員さんたちが「自分たちだけ温かいおにぎりは食べられないよ。戻ってきた隊員と一緒にいただきます」と言われるのを聞き、その連帯感や絆に感動したものです。
2020年の豪雨のときには、人吉の実家の前の川が氾濫しました。幸い家族は無事でしたが、水が引いた後には見たこともない光景が広がっていて、辛い気持ちでした。多くの支援物資も届き、ものに困ることはあまりありませんでしたが、コロナ禍で人が来られず、人手がなくて大変でした。けれど、浸水して使い物にならなくなった物を外に運んでいたら、車で通りかかった人がわざわざ降りて、手伝いましょうかと声をかけてくださったり、近所で助け合ったり、本当に人の温かさを感じる体験でもありました。物資だけではなく、こうしたちょっとした心配りが、心を癒してくれるのだと実感したのです。

2021年度、「坂口 陽史(さかぐち きよふみ)ゴールデン・ハート・メモリアル・アワード」の受賞者に選定され、同賞の賞金1万ドルを、寄付先として希望した人吉市へ贈呈しました。

私自身は東日本大震災の後、できる限り東北にボランティアに参加していますが、町はある程度は復興していても、まだ心が復興していない、と感じます。仮設住宅に一人暮らしのお年寄りの皆さまと公民館で茶話会をしたり、ちょっとした事のお手伝いをしたり、そんなことでも心が軽くなるお手伝いができるのかもしれない、と思い、これからもずっと続けていきたいと考えています。2021年はMDRT ジブラルタ生命分会の行事として仙台の荒浜地区にハナミズキの木を植樹して、フォトスポットになるように花壇をハート形にするなど、皆さんの心がお元気になるような工夫もしています。ハナミズキの花言葉は永続。皆さんも、地域も会社もずっと育っていけますようにという願いを込めています。自ら動くこと、その気持ちが大切なのだと思います。

家族や周りの人々に支えられて

この仕事を始めてもう20年以上が経ちました。今まで支えてくれた家族や仲間たちが支えてくれたからこそ、続けてこられたと感謝の気持ちでいっぱいです。
仕事をしている中で、大切な方に保険金を届けるだけではなく私と出会った人に喜んでもらえることに生きがいを感じるようになりました。営業の仕事ですから数字の目標を持つことはもちろん大事ですが、誰かのお役に立てるということ自体が喜びだと思うのです。やりがいというのは成果で叶えられるもの、生きがいはありがとうという言葉で報いられるもの、私はそんな風に感じています。

私が入社した当時娘はまだ小学1年生でした。その娘も6年前医師になりましたが、私が会社の後輩が悩み苦しんでいるときに気づいてあげられなかった自分を責めていると「医者だって救える命しか救えない。結果がどうあれできる限りのことをすることが大事」と話してくれました。こんな風に気づかせてくれる家族や仲間が周りにいることで、仕事を続けてこられました。だからこそ私は、今はできるだけ多くの後輩に、自分の経験や想いを伝え「入江さんには話してもいいんだ、一人で悩まなくてもいいんだ」と思ってもらえるように心配りしていきたいと思っています。私も永遠に仕事が続けられるわけではありません。後輩を育てることは、お客さまを大切にすることなのです。育ってくれた後輩は、またその後輩に想いを伝えてくれます。そうやって綿々と続いていくお客さまを思う心が、ジブラルタ生命の心なのではないでしょうか。

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